2012年9月7日

南三陸キラキラ秋旨丼(あきうまどん)


南三陸きらきら丼,きらきら秋旨丼,あきうまどん,秋旨丼
南三陸キラキラ丼シリーズ 第三弾は秋限定の味覚「秋旨丼(あきうまどん)」。各店舗の個性がキラリと光る。
南三陸の秋味は、9月1日〜10月31日限定です
震災前より南三陸の名物として人気を誇っている「南三陸きらきら丼」シリーズ。冬はイクラ丼、夏はウニ丼。南三陸町内の飲食店がそれぞれの個性を際立たせしのぎを削る名物丼だ。その第三弾が9月1日より始まっている。南三陸を彩るカツオ、銀鮭、秋刀魚、穴子など各店舗の個性が益々光る秋限定の丼の名は「南三陸きらきら秋旨丼(あきうまどん)」。震災から一年半を迎える9月、様々な想いを込めた秋旨丼が南三陸の町を彩る。プログレス南三陸でも多くの方々に南三陸の秋を知って頂けるよう、各店舗の秋旨丼をご紹介。南三陸の秋をぜひ舌で感じて欲しい。


A)季節料理「志のや」
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戻りカツオ、銀ザケを中心に旬の食材がボリューム満点。豪快な逸品だ。
キラキラ秋旨丼
旬の戻りカツオと元祖銀ザケのふるさとで食する、本場の炙りで南三陸の秋味を楽しんで下さい。

 1日限定50食 
料金  ¥1,800
丼直径  13.5cm
営業時間 11:00 ~ 14:00、17:00 ~ 22:00
定休日 / 水曜日または木曜日
南三陸町志津川字御前下 59-1
南三陸さんさん商店街内

季節料理「志のや」
☎0226-47-1688 


B)創菜旬魚「はしもと」
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見た目が何とも華やか。繊細な盛りつけも「はしもと」の真骨頂。
キラキラ秋旨丼
旬の魚介をたっぷりのせた「はしもと」自慢の秋旨丼カツオのたたき、カツオのあら汁が絶品です。

 1日限定50食 
料金  ¥1,600
丼直径  16.5cm
営業時間 11:00 ~ 14:00、17:00 ~ 22:00
定休日 / 火曜日
南三陸町志津川字御前下 59-1
南三陸さんさん商店街内

創菜旬魚「はしもと」
☎0226-29-6343


D)鮨処「えんどう」本吉店
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お寿司屋さんならではの細やかな仕事がなされた豪快な丼。
キラキラ秋旨丼
カツオ・メカジキ・サンマ・アナゴを中心とした寿司屋自慢の 丼に仕上げました。


 1日限定50食 
料金  ¥1,800
丼直径  16.0cm
営業時間 11:00 ~ 14:00、16:00 ~ 21:00
定休日 / 火曜日
気仙沼市本吉町津谷新明戸 200

鮨処「えんどう」本吉店
☎0226-42-3351


E)松原食堂
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タコの唐揚げが個性的。色鮮やかな秋の味覚がたっぷり。
キラキラ秋旨丼
銀ザケの焼き物、タコの唐揚げ、 マグロそして白身 魚のお刺身で 南三陸の秋が味わえます。 


 1日限定50食 
料金  ¥1,500
丼直径  12.0cm
営業時間 11:00 ~ 20:00
定休日 / 月曜日
南三陸町志津川字御前下 59-1
南三陸さんさん商店街内

松原食堂
☎0226-46-2433


F)日の出荘
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日の出荘らしいボリューム満点の丼。さっぱり白身に鰹のタタキが◎
キラキラ秋旨丼
カツオのたたきや三種のホタテ など、日替わりで南三陸の旬のお刺身が楽しめる、漁師直送の 旬鮮丼です! 


 1日限定20食 
料金  ¥1,500
丼直径  16.0cm
営業時間 11:30 ~ 13:3018:00 ~ 22:30
定休日 / 月曜日
南三陸町志津川字沼田 150-50    

日の出荘
☎0226-29-6466


G)豊楽食堂
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魚介たっぷりの丼と焼きそば、満腹感たっぷりの組み合わせ。
キラキラ秋旨丼
地物の秋味を欲張りに詰め込んだ丼に、当店自慢の焼きそばを添えました 。 満 足感「 命 」 !の一品です。 


 1日限定15食 
料金  ¥1,500
丼直径  15.0cm
営業時間 11:00 ~ 19:00
定休日 / 水曜日
南三陸町志津川字御前下 59-1
南三陸さんさん商店街内
豊楽食堂
☎0226-46-3512



C)南三陸ホテル観洋
秋刀魚、カツオづくしの丼。三陸の秋を感じる組み合わせ。
キラキラ秋旨丼
たっぷりと脂がのり、食べ 頃を 迎 えた 旬のサンマはなめろう・刺身で、 カツオはタタキ・刺身で旨味を存分に引き出して調理しております。


 限定なし 
料金  ¥1,800
丼直径  20.0cm
営業時間 11:00 ~ 20:00
定休日 / なし
南三陸町黒崎99-17

ホテル観洋 レストランシーサイド
☎0226-46-2442


H)静江館(せいこうかん)山内鮮魚店
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秋らしい穴子づくしの丼。カツオなど旬のお刺身も付いてきます。
キラキラ秋旨丼
あなごの煮汁をごはんにからませたあなご丼!いくら醤油漬けを散りばめた丼には旬の魚介のお刺身付き! 


 限定なし 
料金  ¥1,500
丼直径  13.6cm
営業時間 11:00 ~ 17:30
定休日 / 第2・第4水曜日
南三陸町志津川字沼田150-35


静江館(山内鮮魚店内)
☎0226-46-2159



南三陸きらきら秋旨丼 MAP
(D)鮨処「えんどう」本吉店は、南三陸町の隣町の気仙沼市本吉町にあります。




Text & Photo = K.Y(Progress南三陸 編集長)

2012年5月1日

南三陸福興市の肖像

南三陸福興市
南三陸町で蒲鉾店を営む「南三陸町福興市」実行委員会副委員長の及川氏。彼のように、古くから町の商店街を支えてきた有志達と全国の商店街ネットワークが福興市の原動力となっている。


  
一周年を迎えた「南三陸福興市」の軌跡

2012年4月29日、一周年を迎えた福興市(ベイサイドアリーナ)
震災の翌月、人々が未だ避難所生活を余儀なくされていた最中の4月末。南三陸町で震災後初の市場が開催された。場所は避難所の一つである志津川中学校。地元企業の有志達が立ち上がり、様々な支援を経て行われた市場は「福が興(おこ)る市」という意味を込め「福興市(ふっこういち)」と名付けられた。きっかけは全国の商店街と深い繋がりを持つ「全国ぼうさい朝市ネットワーク」藤村氏の熱い想いだった。「こんな時こそ即座に立ち上がろう。売る物は全国からかき集めればいい、もう一度元気を取り戻すために市場を興そう。まずは商売が立ち上がらないといけない」。そして藤村氏の繋がりで、即座に全国の商店街が動き出した。地元企業の有志達もそれぞれの持ち場である避難所運営の合間を縫って準備を進めた。そして震災からわずか一ヶ月足らずで「第一回南三陸福興市」が幕を開けた。生活用品、食材、人々の賑わい。全国商店街の店主達が自ら持ち込んでくれた多種に渡る品々が町に元気を与えた。そしてその売り上げは、町の復興資金として提供された。震災であらゆる物を失い、暗い避難所で寄り添い生きていた町民に、明るい笑顔が戻った瞬間だった。福興市の始まりは、こうした様々なネットワークの力を借りて見事に実現され、町が元気を取り戻す希望の光となった。それから毎月、全国の商店街やボランティアの力を借りながら福興市は続いている。



「福興市」もうひとつの役割


福興市には町を元気にするもうひとつの重要な役割がある。それは、かつて共に暮らし離れ離れになった町民が「再会できる場」を提供し続ける事だ。月に一度開催される福興市の会場では、再会を喜ぶ人々の姿が後を絶たない。仮設住宅での生活を余儀なくされている人々、やむなく故郷を遠く離れてしまった人々が、この福興市で思いがけなく再会する。共に喜びに浸り、互いの健康を気遣い、そして再びそれぞれの場所へと戻って行く。震災からわずか一年、報道の数も激変した今、時を経てもなお人々の奮闘は続いている。長く厳しい冬が終わり、桜が咲き、子供達の笑い声が聞こえるようになり、一見復興へ歩み始めたかに見えるが、今でも生活の不自由さは解決されていない。それでも今、我々は立ち止まる事ができない。様々な人々の力を借りながら、前へ突き進むしかない。震災直後から奮闘し続けてきた商店主達は相変わらず精力的に働いている。いくつもの困難を乗り越えて来た世代だからこその、港町の底力を感じる。そして福興市から始まった原動力は今も尚続いている。今だからこそ知恵を絞り、助け合い、ひとつになり、乗り越えて行きたい。図らずとも被災し、人生が大きく変わってしまった事実を背負い、とにかく必死に生きて行きたいと思う。
 
第13回南三陸福興市の様子。全国から様々なアーティストも駆けつける。人々の笑顔が溢れている。








  
南三陸福興市


2012年4月で一周年を迎えた福興市、今後も開催場所は「南三陸ベイサイドアリーナ(南三陸町役場 スポーツ交流村」を予定している。福興市の開催日は「毎月最終週の日曜日」となっている。当日は混雑するため自家用車での乗り入れはできない。会場近くに設置された臨時駐車場に車を止め、シャトルバスで会場へ向かう。


福興市の詳細はこちら(福興市公式サイト)にて事前に要確認。


南三陸福興市公式サイト
http://fukkouichi-minamisanriku.jp/




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Text・Photo = K.Yamauchi(Progress南三陸 編集長)

2012年4月30日

心地いい空間|そば処 すがわら

「すがわら」の店先を流れる清流。水の流れる音を聞きながら食事ができるのも嬉しい。










友人のお誘いで、以前から気になっていた「すがわら」に行ってきました!
仕事でやむを得ずの外食は何度もあっても、こうやって気心知れた友人たちと過ごせる久々の自分時間にちょっぴり心弾ませながら、南三陸町の山間部へ。
車から降りたった瞬間、せせらぎの音に耳を奪われました。今は亡き市街地からたった10分程度車を走らせただけで「あっ、そうそう。南三陸にはこんな空間もあったっけ」なんて思ってしまいました。
そんな余韻を引きながらくぐった暖簾の先には、にこやかにほほ笑む菅原さんの姿。
「お待ちしておりました。」
通された1室は、俗にいう茶の間で、家庭の雰囲気も残しつつ、きちんと隅々まで整っているところがまた心地いい。

実は初めての組み合わせでの友人たち、まずはきりっと冷えたビールで乾杯。
さぁ、ここからが物語の始まり~。
手づくりこんにゃくの味噌田楽に始まり、ごま豆腐、お刺身、季節の天ぷら、トマトの茶わん蒸しに仕上げのおそば。だったと記憶しております。

そば処 すがわら
そのどれもが店主の心を感じる逸品でした。特にごま豆腐。私はもともとごま豆腐好きで、それというのも山形のとある旅館で出たそのごま豆腐の美味しかったこと!舌の上で滑らかにとろけるあの触感がやめられなくて、いろんなお店でもお取り寄せでも数々試してみたけど、なかなかあの触感には巡り会えず。実は今回もあまり期待はせず口に運んでみたら。灯台下暗しとはこのこと。こんなに近くであの触感に出会えるとは!
開始早々ちょっとやられた感を抱きながら、飲み物はビールからお酒へ。
ここでも好みの地酒、綿屋(一迫町)に出会え、さらには店主選りすぐりのグラスがキンキンに冷えて登場。全てがお好みをチョイスできる贅沢、そして拘り。久しぶりだな~ってつくづくこの時間に感謝。
それだけでも個人的にはストライク入っていますが、さらに感激は季節の天ぷら。出てきたのはお皿のみ。そう。店主自らが揚げたてをひとつひとつ丁寧に取り分けてくれるのです。次の一品が出てくる間がまた絶妙で、こちらの動きを全てキャッチしているかのようなタイミングがまた心地いい。
このゆったりさと心地よさで少々お酒もすすみ過ぎた感じはありますが、それも含め贅沢な料理と時間をたっぷりと味わいました。

時は金なりというけれど、日々喧騒の中で過ごす私にとって、心のこもったお料理とこの時間は自分へのご褒美になりました。

そんな空間で友人たちと酌み交わす時間、ぜひまたお伺いしたいお店になりました。

Text = 匿名 Photo = K.Yamauchi(Progress南三陸 編集長)




2012年4月22日

創菜旬魚 はしもと|南三陸さんさん商店街


創菜旬魚 はしもと|南三陸さんさん商店街
「はしもと」オーナー兼料理人の及川満さん(左)と、ホール担当の佐藤仁さん(右)。

手作りの店内でゆっくり楽しむ、宮城の地酒と海鮮料理。


創菜旬魚 はしもと|南三陸さんさん商店街
「はしもと」の店内。仮設とは思えない落ち着いた内観が魅力だ。
2011年3月11日。大地震とともに発生した大津波により私たちの町「南三陸町」はかつての面影を失い、町民全ての希望が絶たれた。深い悲しみの一夜を抜け、待っていたのは想像を絶する現実。それでも南三陸町民は自分を奮い起こし仮設住宅と仕事場を行き交う。この一年間、町のどこへ行っても“思い出の場所”が失われた私達に「憩の場所」ができたのは2012年2月25日の事だった。見慣れた看板、懐かしい声。震災前南三陸町にお店を構えていた店や、新しく出店する店30店舗が軒を連ねる“南三陸さんさん商店街”。 商店街の中心を取り囲むように並ぶ食事処、その一角に及川満さんが店主を務める「創菜旬魚はしもと」がある。驚くのはその内観だ。中に入るとまるで仮設店舗とは思えない程、落ち着いた雰囲気が漂う。そしてそれら全ては及川さんやスタッフ、友人達の手作りだと言う。JAZZが流れ、仮設店舗を忘れる程の落ち着いた店内には、ご主人のある思いが詰まっていた。
創菜旬魚 はしもと|南三陸さんさん商店街
厳選した宮城の地酒もたっぷり楽しめる
「仕事場が仮設。家へ帰って一息つくのも仮設。どこへ行ってもこの町は仮設ばかりで気が滅入ってしまう。食事をする時くらいは、震災を忘れゆっくり楽しんでほしい。だから内装には特に力を入れました」。現在、仮設住宅で暮らすご主人には仮設住宅での生活の辛さが身に染みて感じる。だからこそ内装にかける想いが強かった。「はしもと」で使われる食材は、できるだけ南三陸町産のものを使うよう心がけている。「震災から1年が経ちましたが、震災前と比べまだまだ地元産の食材だけで賄うのは難しいのが現状です。これから少しずつ復興へ向かう中で、海や山の食材も増えて行くでしょう。やっぱりできる限り南三陸町で採れた新鮮なものを使いたい。」調理師学校卒業後、仙台や気仙沼で15年以上料理の経験を積んだご主人から作り出される料理は力強くとても美しい。




創菜旬魚 はしもと|南三陸さんさん商店街
「はしもと」店主の及川満さん(38)
全国の方々のご支援で、今の自分がいる。だから頑張り続けたい。

「はしもと」のご主人である及川さんが料理の道を志したのは高校生の時だった。「食べるのが好きだったし、何かを創作する事が好きだったから。」そんなご主人が創作する料理は、遊び心が詰まった逸品ばかり。まずは目でたっぷりと楽しませてくれる。味付けも東北らしからず実に繊細である。震災後の混乱の中"自分のお店を持つ”夢を一度は諦めたものの「さんさん商店街」へのオファーがきた時には「やるしかない。今、やらねば。」そう自分自身を奮い立たせた。出店が決まってからは早朝から深夜まで寝る間を削って準備に追われる毎日だったという。冷蔵庫や鍋、器等は全国各地からの支援で頂いたもの。「本当に感謝の一言でした。全国の方々からのご支援、友人の応援が無かったら今私は絶対にここにいません。私には料理で恩返しすることしかできないけど、南三陸町が元気であることを料理を通して伝え続けたい。ご支援頂いた方々には、本当に感謝しきれない思いで一杯です。そのご恩に報いるためにも頑張り続けたい。」取材中に何度も出てきた「感謝」という言葉。一度諦めかけた夢を形にし、懸命に生きる彼の目はキラキラ輝いていた。



創菜旬魚 はしもと|南三陸さんさん商店街
創菜旬魚 はしもとの
「キラキラ海鮮丼」

南三陸町のほぼすべての飲食店がメニューとして掲げているのが震災前の人気商品だった「南三陸キラキラ丼」。震災後、そのキラキラ丼が「さんさん商店街」のオープンと共にようやく復活を遂げた。全国一の水揚げを記録した事もある南三陸産天然秋鮭のイクラや、その日志津川漁港に水揚げされた新鮮な魚介類、名産のタコがたっぷりとのった贅沢な丼。新鮮な海の幸ならではの上質な脂、お醤油を垂らし豪快に食べるも良し、ボリュームもたっぷりで男性も満足の逸品だ。南三陸を訪れる観光客やボランティアの方々がこぞって注文する大人気の逸品は見た目も鮮やか。これを食べずして南三陸は語れない。キリッと冷やした宮城の地酒と共に楽しみたい。この他に季節のお味噌汁とお新香が付く。

キラキラ海鮮丼 1,580円


創菜旬魚 はしもとの「刺身盛り合わせ」

夜がメインの「はしもと」でこぞって注文されるのがこの「刺身盛り合わせ」。味もさることながら主人の遊び心が伺える盛りつけで女性客にも大人気の逸品。地元宮城の地酒や焼酎等、お酒も豊富に取り揃えてある。宴会コースもあり、予算に応じて旬の味を味わうことができる。プラス2000円で飲み放題(生ビールを除く)というのも嬉しい。

刺身盛り合わせ 1,980円〜


3.11 あの日の記憶

「まるで映画を見ているようでした。」あの日、及川さんは勤め先だった高台のホテルから一部始終を見ていた。体感した事のない揺れが続いた後、思わず海を見続けた。それは想像を絶する光景だった。引き波が1キロ以上も続いた直後、防波堤を遥かに超える大津波が一気に南三陸の町を目がけて襲いかかった。海は引き潮と津波とで渦を巻き、津波に襲われた町は土煙に覆われホテルから見えなくなった。そして南三陸の空は雪で真っ白になっていた。震災以前、そこから眺める景色はどこにも負けない景色だった。広大な太平洋、港町の営みを一望するホテルからの景観。ウミネコの鳴き声。何度見ても見とれてしまうほどの景色が、あの日は目を逸らす程の地獄絵図だった。数日間ホテルでお客様のお世話にあたった。その後、初めて高台から町へ降り目にした光景に言葉も出なかったという。町の営みは影も形もなくなり、瓦礫だけが残っていた。あまりにも絶望的な現実に、お店を出す夢や希望も絶たれた。家がない、生まれ育った町がない。そんな中で夢を見るにはあまりにも儚かった。


創菜旬魚 はしもと|南三陸さんさん商店街
創菜旬魚「はしもと」
(南三陸町さんさん商店街)
登米方面から国道398号線を上り、南三陸町中心部へ向かう途中に、被災地最大の面積を誇り30店舗が軒を連ねる「南三陸町さんさん商店街」が見えてくる。

〒986-0766
宮城県本吉郡南三陸町御前下59-1
TEL:0226-29-6343
営業時間:(昼)11:30〜15:00 ラストオーダー14:00
(夜)17:30~22:30 ラストオーダー 22:00
定休日:火曜日
駐車場:100台(さんさん商店街駐車場)



創菜旬魚「はしもと」へのアクセス

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Text = SHOKO.S(Progress南三陸 編集部) Photo = K.Yamauchi(Progress南三陸 編集長) 取材日 2012年4月19日

2012年4月15日

そば処「すがわら」南三陸町入谷地区

そば処 すがわら(南三陸町入谷地区)
そば処「すがわら」店主の菅原良成さん(34歳)大阪と東京の老舗割烹で培った確かな腕が県外からのお客の舌も唸らせる。


割烹を極めた料理人が腕を振るう、南三陸屈指の名店。


そば処「すがわら」南三陸町入谷地区
「すがわら」の店内。20人程が入る和室の他、個室もある。
南三陸町中心部から国道398号線を登米市方面へ走ること約10分。童子山を目指し測道に入ると、被災を免れた静かな田園風景が広がる南三陸町入谷地区に辿り着く。茅葺屋根の家々、農家の営み、懐かしく印象的な風景の中に一本の清流が流れている。その清流沿いに蒼い暖簾を掲げ静かに佇むお店、それが「そば処 すがわら」である。
何と言っても「すがわら」の特徴は、一度足を運べば再び訪れたくなる繊細な味と、居心地の良さにある。自宅を開放したという明るく広々とした店内は、ついつい寝転がってしまいたくなるような居心地の良さが広がっている。実は編集部である私も「すがわら」の味と居心地に魅了されたファンの一人だ。被災を免れた入谷地区には震災前と変わることのない南三陸町の優しい風景が広がっている。大きな窓から見える景色は震災前の風景そのもの。この場所でご主人の料理を食べたあの日からついつい月に何度も訪れてしまうのだ。

常連客御用達 すがわら手製の「胡麻豆腐」
そして「すがわら」の最大の魅力はその繊細な「味」にある。大阪北新地、東京銀座、日本橋、著名人も訪れる高級割烹料理店で修行を積んだご主人が作る料理の数々は「そば処」というよりも、やはり「割烹」に限りなく近い。地元産を主とした旬の野菜、南三陸港で水揚げされた魚介類など地元産の食材を駆使し春夏秋冬を意識した創作メニューは、すべて一から手間をかけ提供される。手製のお蕎麦、上品な味付けの丼物、素材の食感が活きた季節の天ぷら、付け合わせ、そして一品料理。どれを注文しても「割烹 すがわら」ならではの繊細な味付けに魅了されるだろう。
写真は、すがわら手製の「胡麻豆腐」。昼夜問わず常連客がこぞって注文する人気の一品料理。これがまた本当に美味い。繊細な胡麻の香りと上品な味付けで、蕎麦や丼物の前や飲んだ後のシメにもおすすめの逸品なのである。




そば処「すがわら」南三陸町入谷地区
そば処「すがわら」主人の菅原さん
被災した事を少しでも忘れられるように。心を込めた料理で南三陸を元気にしたい。

「すがわら」店主、菅原良成さんが料理の道に目覚めたのは幼少の頃だった。実家がそば処を経営していた事もあり、小さな頃から料理がいつも身近にあったという。高校生になる頃にはすでに将来の目標が決まっていた。そして高校卒業後南三陸町を飛び出し向かったのは大阪の老舗割烹料理店。住み込みで働きながら10年間修業に明け暮れた。そして修行の場を東京に移し、5年間に渡りさらに腕を磨き上げた。修業期間こそ大変だったが、辞めたいと感じた時や、料理から離れたいと思う瞬間は一度もなかったという。15年に渡る長く厳しい修行を経て、南三陸町にお店を構えたのは2011年夏のことだった。彼自身、被災を免れたが震災前から準備していた店舗の準備も震災で白紙に戻ってしまった。「震災前に割烹料理店を始めようと町内で場所探しをしていたんです。その最中にあの震災が起きてしまった。一瞬頭が真っ白になりましたが震災後は割烹への道を一時休んで、誰でも安くて気軽に食べられる蕎麦処を開店しようと思ったんです。とにかく被災した南三陸を元気にしたい。南三陸町の人に料理の美味しさを伝えたい。この町の人たちにもっと美味しいものを食べて欲しい。今は純粋にそう思っています」。

そば処「すがわら」南三陸町入谷地区
「すがわら」の前を流れる清流。静寂に包まれた長閑な風景がどこまでも広がる。震災後、途方に暮れていた自分を奮い立たせ、自宅を解放し営業を始めたのが2011年夏の事。「震災から1年が経ち、南三陸に訪れる人の数も減っていく中、やっぱり地元から元気にならないと。震災前のようにお酒片手に元気に語らうのが南三陸町民ですよね。親しい友人とじっくり語らいながらお酒を飲みたいときに是非利用して頂きたい。昼間の営業ももちろんですが、夜はやっぱり料理の腕が鳴りますね(笑)美味しいお酒も取り揃えてますし、大人数でも対応できます。県外の方にも是非南三陸町で美味しいものを食べて、心を豊かにしてほしい。」



すがわらの「天ざる」

そば処 すがわら(南三陸町入谷地区)
そば処「すがわら」の天ざる 一年を通して季節の天ぷらを味わえる
この季節「すがわら」おすすめメニューとして紹介するのが手製の「天ざる」。暖かい季節にぴったりの逸品。お蕎麦は蕎麦粉から厳選したコシのある食感が特徴。鰹節のダシでとったつゆは上品な味わい。つゆの味付けもこの時期はあっさり目に仕上げ、季節によって変えている。天ぷらの素材にもなるべく南三陸産の食材を使用。蕎麦だけでなく、天ぷらも自宅で楽しむものは違う割烹ならではの上品な味わいだ。
天ざる 1,100円


すがわら特製お弁当

そば処 すがわら(南三陸町入谷地区)
写真の他に小鉢、蕎麦、デザートが付く(要予約)
昼も楽しめるが、夜にぜひおすすめしたいのが「すがわら特製お弁当」。地元産の食材を使用した数々の一品料理を堪能できる。季節に応じて中身は店主おまかせとなるが、すがわらの真骨頂が堪能できる。予算に応じての対応も可能だ。宮城の地酒と一緒にぜひ楽しんで頂きたい逸品。おちょこも5種類の中から好みの器を選べる。隔離された個室は、接待や法事等にも人気だ。(特製お弁当は前日まで要予約)

すがわら特製お弁当 1,500円〜

3.11 あの日の記憶


そば処「すがわら」南三陸町入谷地区

2011年3月11日、あの巨大地震を店主の菅原良成さんは港近くで体験した。悪夢のような出来事だった。自分を取り囲む建物、電柱、あらゆる物が信じられないほど揺れ狂う様を見た。気がつくと目の前の道路が割れ下水が噴き出していた。実家に残した母親と寝たきりの祖母の事が頭をよぎった。そしてすぐに車で家へ向かった。信号は機能を失い、道路は逃げ惑う人々や車で溢れていた。無我夢中で右へ曲がり左へ曲がり、歩道をすり抜け家へ辿り着いたのは30分も後の事だった。途中何度も地震の凄まじさを目にした。国道沿いの電線は垂れ下がり、山沿いの道には信じられない程大きな岩が落ちていた。家族は無事だったが、家の中は地震の凄まじさを物語っていた。そして震災後、ライフラインが復旧するまでの数ヶ月を、寒さに震えながら過ごした。「日々生きて行くだけで精一杯でした」。そして彼には、その頃の記憶がほとんどないと言う。


そば処「すがわら」そば処「すがわら」(南三陸町入谷地区)
国道398号線沿いから、山間部に向かって5分程進むが国道の看板がお店までの道のりを丁寧に教えてくれる。田園風景を流れる清流と蒼い暖簾が目印だ。

〒986-0782
宮城県本吉郡南三陸町入谷字林際21-3
TEL:0226-46-6729
営業時間:11:00〜14:00(昼)17:00~20:00(夜)ラストオーダー 19:00
定休日:水曜日
駐車場:10台(第1・第2 駐車場有)
http://www.facebook.com/sobasugawara



そば処「すがわら」へのアクセス


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Text = SHOKO.S(Progress南三陸 編集部) Photo = K.Yamauchi(Progress南三陸 編集長) 取材日 2012年4月13日

プログレス南三陸(復興Blogマガジン)創刊にあたり

2011.03.11 3:35:55 PM 南三陸町を襲った大津波(志津川中学校から撮影) photo K.Yamauchi
















 

2011年3月11日。
あの日から一年が経った。「南三陸町」に生きる者として、目を閉じ耳を傾ければいつもあの光景が蘇る。あの日私は、避難した高台の中学校から全ての光景を目に焼き付けた。黒波が町を破壊していく轟音、泣き叫ぶ人々、極寒の夜。それら全てが今でも忘れられない。

瓦礫が取り除かれ、人々の生活は平穏を取り戻したかに見えるが、変わり果てた故郷の景色は時を経てもほとんど変わらない。毎朝仮設住宅を出発し、失ったかつての我が家を横目で見ながら、被災現場を通り抜け仕事場へ向かう。そんな風に、この町の誰もが変わり果てた景色の中で一日を過ごし、時折昔を思い出し、その度に現実を痛感する。家族の死、友人の死、一年が過ぎても尚、失った物の大きさを突きつけられる事がある。

それでも人々は皆、顔を合わす度に気丈に振る舞う。互いに奮闘する姿を見て、我が身を奮い立たせる。「みんな一緒だ、頑張ろう」日々の営みの中、そんな声がいつも聞こえてくる。

あれから時が過ぎ、翌年の3月11日を境に報道の数も驚くほど減ってしまった。

人々の記憶から忘れ去られて行く中、被災地の奮闘はあの日と変わる事なく続いている。この町がかつての生活を取り戻し、安らげる日はいつ訪れるのか。私達は逃れる事のできない現実と向き合い、時折自分を奮い立たせ、何十年も続く復興への試練を一歩一歩乗り越えて行くしかないのだろう。

深い傷を抱えながら笑顔で突き進む南三陸町民を、どうか忘れないで欲しい。
そのために我々南三陸町民ができる事は、自ら発信し続ける事だと思う。

このブログは、南三陸に生きる「人」や「事」をテーマに進んで行く。この町で静かに営みを始めた人々にとって少しでも力になれるよう、少しずつ発信して行こうと思う。この「ブログレス南三陸」が被災地を応援して下さる方々の情報ツールとなり、町民との元気の架け橋になれば嬉しい。


2011.04.15 プログレス南三陸 編集長 K.Yamauchi